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磯貝語録:音楽編(11/22)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。
 それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】

今回は語録というよりはコラムに近い内容です。


「良い楽器と良い音楽」

・音楽は楽器を奏でて演奏する。
 良い楽器と良くない楽器では、音の質がちがう。
 奏者の良し悪しにより音楽の質は変わる。

 歌は、本人が両方である。

 一般的には双方、ソコソコに生れ育つが、更に良質を求めると、
 先ず楽器作りから入る。
 どうやって作るかというと、歌うことで作って行く。

 歌がうまくなったということは、楽器も育った、と言うことで
 入れ子で育ってゆく。
 とすると歌がうまくならない、という事は楽器が育っていないことになる。
 良い音楽とは質の良い響きの事だ。

 ところで響きとは、音源から離れた所にある。
 遠くに良いものを作れる楽器(素材、歌では声)と、
 遠くに良い音楽を奏でる奏者が良い音楽者ということになる。
 
 自我や自意識の強い場(人かも知れない)には、良い音楽は育たない。
 
                              2012.11.22

磯貝語録:音楽編(10/23)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。
 それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】


◆プロをめざす人は、程好い距離感(ドラマと自分、言葉と自分、
 音楽と自分)等が必要である。 

◎よろずプロと名の付く人(職業)は、自分が夢中になってやったからとい
って出来るものではない。特に歌の演奏家という職業は自分の状態(発声、
精神、身体、準備、集中力など)に対しては全面的に責任を負わされている。
その上で演奏作品の品質を上げこそすれ、下げる事は出来ない。自分なりで
良いなどといったレベルは問題にならない。実際、あの五線譜の記号と自分
との間で具体的にわき上がってくる、“あの事”が仕事である。自分の声を
使い、知力と身体を駆使して、譜面との間に生きた魔物(“あの事”でもあ
り湧き上がる音楽でもあり、生き生きとした音楽の実感)を造り出す仕事だ。
入りすぎると魔物に飲み込まれる。距離があり過ぎると魔物は書き割り絵の
ごとく止まったままだ。とり合えず音は出すが、死んだ音だ。音楽との距離
感は中でも面妖だ。魔物が立ち上がると、音楽も自発的にうごめき始める。
魔物を中にはさみ、自分と音楽との取り引きが面白くもすさまじい戦いとな
る。ここまで来ると、プロ級の演奏と言えるかも知れない。計算して出来る
ものではない。練習しなくては出来ないが、練習して出来る訳でもない。し
ばらくの間、魔物に魂を売り渡す作業なのかも知れない。


                歌演奏講座
                テーマ:「オペラ・アリア試唱会、全体評から」

磯貝語録:番外編(10/20) -創造塾はお休みです-

【今日は磯貝塾長の独り言】

◆オババになりたい(理想のオババ学)。その3

◎ババ-婆とは一般的には老年の女、老女の事で、祖母のことをも言う。
「オ」を付けているのは敬する意味と親しみ又特別な分類的接頭語でもある。
どんな分類かと言えば、生物的女性ではなく、特殊女性の老年の人のこと
である。姉もオネエというのと同類である。だからオババとは一般女性の老女の
ことではない。近頃若い人(男性)の中にオネエ志望の方が結構多いと聞く。
その内なる心は各々自分にないものへの内なる憧れと思う。決して外への
憧れではない。現実の目の前に見える女性ではなく、各々自分の中に内在する
秘めたる“アレ”である。
親父という人種は思ったより単純で、中にまでしっかりオヤジで、それがなえてくると
自然にジジイになる。もっと年をとると、ジイさん、ジサマ、になるが、表も中も
シナビた男のままだ。ところがオババはちょっとちがう。表面的には各々あろうが、
年とともにしなやかなアレとなる。見た目にはちょっと気取っている様だが、
思ったより可愛い。“アレ”が内側からほのかの色気としてにじみ出ていたり
すれば、理想中の理想だ。
オババには哲学があり美学があるのだ。

磯貝語録:俳優編(10/19)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。
 それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】


◆自前の良さ(個性)と、多くの他人に通じる良さは一致しない。
 という原則で訓練をする。

◎言葉は個性が強すぎると、他人に通じにくい。
(これは思考法や、感覚にも言える)
一方、声はその人の個性であるといわれる。その個性である声で言葉を喋る。
独り言なら良いが、誰かに伝えるとなると、個性的な声と個性的な言葉では
なかなか通じにくい。今、日本人同士が喋ることは大体通じ合っている。なぜ
通じるのか。とりあえず識字率も高く、意味は伝わっている。もう1つ。聴く人が
話す人の気持ちや思いを何とか分かろうと、すごい努力をしているから通じるのだ。
声を訓練することと言葉を訓練することは具体的には違うことだ。でも根のところで
はしっかりつながっている。言葉を荒げると声は悪くなり、喉は傷む。多くの他人に
通じる言葉とは、通じ易い声が必要であることが分かる。と同時に他人が聴き
易い言葉を用意することも必要である。でも自分の思うように生きたい日本人に
とって、知りもしない他人のために自分を改善すること(自己訓練もしくは自己
鍛錬)は少々ハードルが高いかもしれない。

                           声・ことば指導法講座
                           テーマ:「子音調音法:両唇音」

磯貝語録:社会人編(10/17)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。
 それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】


◆相手の言っている事を先ず承認すること。
 これは相手に対する礼儀であり、本人のクセである。

◎当たり前の様で、中々出来ないし、やっていない。この文を読んだ時に
「ウーン、そうだねー」「ハー、成る程」etc…と素直に言えるかどうか。頭の
中で思っても、声を出し相手に言えると良い。そのクセを付けることだ。
でも、気もないのに「ウン、ソー、ソー、ソー、ソー」などの空相槌は却って
良くない。この関係は相手を尊重していないし、同意語の“ソー”の数だけ
相手を蔑視していることになる。この承認同意言葉に日本人はあまり慣れ
ていない。そのためか、発する時“腹でささえ喉の良くなった声”の反対の、
何となく自信なく、ひびきの悪い、口先での軽い言葉で言っている。口先
言語は早口になるし、聴き難い言葉だ。承認同意言葉はゆっくりと丁寧に
言うと良い。場合によっては、自分に向かって深々と言ってみるとよい。
単なる相槌の域を越し、自分も充分に納得している、という言葉になる。

               話し方診断講座  
               テーマ:「楽しい対話法―対話をうまく行なうには」

磯貝語録:番外編(10/13) -創造塾はお休みです-

【今日は磯貝塾長の独り言】

◆オババになりたい(理想のオババ学)。その2

◎私は身の周りの整理が好きで、どちらかといえばキレイ行動派だ。
台所に食器がたまっていたりすると、喜んでセコセコと洗い物をする。
若い頃より洗濯が好きで、20年程前は洗濯機などなく、手洗いをする。
それも、市販の中性洗剤など絶対に使わない。妻が買い求めた有機洗剤を
湯でゆっくり溶かし、一晩バケツに浸け、次の日早起きし、朝日を浴びながら
両手でゴシゴシするのがとてもとても好きであった。それから、乾き上がった
洗濯物を丁寧にたたむのが又好きである。なにしろ今は時々刻々忙しいので、
このような喜びが激減して並のオヤジに成り下がっている。オババ事を
していて良いよ、と云われれば、絶対会議など出ないし、出張など行かずに、
オババのための修行をモリモリとやりたい。洗い物、片付け事などさせておけば、
品質が変わりとても良い人になっているのは確かだ。そうオババとは良い人に
なろうとすることが条件なのかも知れない。世の人々はいかがお考えか、
乞御指導の程を!、、、。

磯貝語録:音楽編(10/4)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。
それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】


◆音と音が重なり合うと、別のものが生まれる。
 安定したもの、不安定なもの、それぞれのつらなり、
 それを作りだす面白さが重唱の楽しみである。

◎音の重なりを和音と言う。安定して聴き易い和音(協和音)と、不安定で
心安らがない和音(不協和音)とがある。そもそも1人で歌うのと、何声かで
和音を作ってゆく重唱や合唱とでは、その喜びや満足は全く違う。1人歌い
(独唱)は、譜面さえ守れば、自分の思うままに充分に歌えばよい。人によっ
ては人前で1人で歌うのは、格好良いこととさえ思うようだ。音楽的に多少
ずれていても持ち味として許されたりもする。一方重唱(アンサンブル)、これ
はいささか難しい。音程が合っていないと他音間が不安定になり、相手の
音との間の修正が必要となる。こうして出来た和音は、歌う人にとっては
部分でありながら“新しいひとつ”そのものである、と言う二つの次元の満足
を与えてくれる。重唱は歌うための技術だけでなく、音楽センス、音楽マナー、
音楽観など多くの事を育ててくれる。
大人数での合唱もよいが、少人数の重唱(アンサンブル)は、この味を覚える
と止めれらない。

                  歌発声講座
                  テーマ:「重唱の楽しみ―音の取り方、聴き方」

磯貝語録:音楽編(10/2)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】

◆祈りとは、全てを開き一点と向き合い、
 向こうからやってくる事を、いつまでも待つことである。

◎黒人霊歌は祈りの歌である。“どうにもならない”人たちの魂の歌である。
いまは、物質に恵まれ、“どうにでもなる”中で生きている。米国人も日本人
も、私もあなたも。黒人の彼等は祈って歌った。神に魂の救いを願い祈って
歌った。それしか救われる方法がなかったから。だから黒人霊歌はすごか
った。‘By and By’も‘Peter,Go Ring-a Dem Bells’も‘Swing Low,Sweet
Chariot’も、その他、沢山の彼等の歌達…。
1800年頃から比べると今は表向きは自由で豊かだ。現在(いま)の黒人霊歌
には祈りが少ない。もしあったとしても、その祈りは心の祈りであって、魂の
祈りではない。人は豊かになると、魂を生きることは出来難くなるのだろうか。
それにしても私達は日常的に祈る事をしなくなったと思う。
                              
                             歌テーマ別講座
                             テーマ:「黒人霊歌をうたう」

磯貝語録:俳優編(10/1)

【磯貝語録とは、各講座で磯貝塾長が語った語録です。それをわかり易い様に、塾長自身が補足をします。】

◆ドラマ(劇)とは生き死にの摩擦である。
 すぐ壊れる“生”の振動でもある。 

◎あまりにこのまま、その通りなので、ゴタゴタ説明すると違う所に行った
り、いやらしくなる気がする。が、少しおせっかいをすると、とか、終わり
とか、マイナス等の予感や実感がないと、とか、とか、プラス等が本
当は良くわからない。このことは文字にすると“アーそうですか”というも
ので終わってしまうけれど、身体で演じ、声(私には声は身体だけれど)に
してみると
、プラス側にいる人は、足元や背中に何か別なもの、違ったもの
(人によっては少しヒヤーッとしたもの)を感じる。マイナス側の人は(これは
全てのマイナスに共通)、何かガボーッと、もしくはホワーッと何かマイナス
じゃない別のものが見えたり感じたりする。そういう所に劇(芝居)の種や元が
あるなぁ、と感じる次元です。

                俳優ことば講座
                テーマ:「セリフ―底に流れる劇性をさぐろう!」 

磯貝語録:番外編(9/28) -創造塾はお休みです-

【今日は磯貝塾長の独り言】

◆オババになりたい。その1

◎私は以前から、年をとったら老男人(オジジ)にはなりたくなくなかった。
イヤ、ならないゾと決めていた。何と言ったって憧れはオババなのヨ!そう
ですオババです!70代、80代で素敵なオジジは希少種だ。電車に乗っても不
機嫌無愛想。口をへの字に曲げ、片足だけ妙に貧乏ゆすり。横柄で人を見下
している。イヤダイヤダ…。私が“なりたいオババ”は、小粋で意地悪で、
めっぽうお人好しで、ソンばっかりしているクセに、ジャンケンとクジ運だ
けは良い。相手の年齢、職業、性別、国籍などほとんど気にせず、誰とでも
ソコソコ付き合う。友人は沢山いるし、沢山出来る。でも気に入らないと結
構あからさまに差別する。いつも自分で仕立てた和服にフリーマーケットで
仕入れた帯を締め、気に入りの季節の柄足袋を履いている。ハオリは、色の
大柄物が好きで、特に裏地には凝っている。だんだん形がととのって来まし
た。次回は“オトコオババ”の生態学にまいりましょう。では又後ほど。