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俳優表現実践(6/12)                      《ことば系》

6月12日(木)俳優表現実践

講座テーマ「今昔物語集③」

[1]ウォームアップ
 ・真ん中の意識を常に持って何でもやる(中心感覚)
 ・あまりいろいろなことを気にするとのびない

 ・とめないためないとじない
  足首と膝から全身を動かす
  =足の裏のいろいろなところに重心を移動することが端緒
  膝を折って低いところでやる
  どこもかためない
 ・あごをたてにひらいて口でなく喉を鳴らす(喉をひらく)

[2]今昔物語よみ
 ②巻四の第六話「天竺の-」おさらい

 ⑤巻二十八の第一話「近衛の舎人ども稲荷詣して、重方、女にあふこと」

(1)今昔を読むと
 ・しゃべってる言葉が漢文、仏教用語でむずかしい
 ・女はこわいというより男が阿呆
  仏教では女は産み、継ぐ性。男は戦い、殺される性(地獄行き)
  どうしようもない男を救済するための修行
  男は殺せる場がなくなると強がりを言うしかなくなる。
  女はいつも強い。
 ・仏教思想は虚無思想 生きることは死ぬため 死んだらまた生きよの輪廻
 ・地上では一期一会だが、輪廻転生することで止まることがない
 ・それぞれの生死観はどのようなものか?仏+聖書?
 ・応仁の乱まで社会が定まっていない「この世」と「あの世」の境が曖昧
  本質がとびだしてしまっているものがある。あらわになっている原始鉱脈
 ・「源氏物語」は色を使って滅びと生の綾を光源氏で追求した。
  女は男を見下して生きる様を男側から見えないように表している。
 ・生きていることの儚さ、危うさ → 鴨長明「方丈記」
 ・その時代の倫理観は? ⇔ キリスト教の博愛・平等主義は?
  現在は両者を共用した二重性に生きている
 ・芝居として読む。音を作る。空間をリアルに感じる
 ・その当時ありえたことを自分の無駄をそぎ落として(既成概念)
  作品の中に何があるかを探すと  → 「般若心経」がみえる

(2)「今昔の教える生死感」
 ・人間の野蛮さはなくならない。 民主主義、自由、・・・通り魔
  生きることの理念
 ・少しずつ変わりながら途絶えずにつながっていく仏教思想
  空になって無になる
 ・キリスト教、現世を愛としてすごし、天国へ行く
 ・登場人物の現世だけ考えても面白くない
  「生きている」ことを中心に考えると限界がある
  現代のものさしで見てもしようがない(分りにくい、表層理解)
 ・「死ぬ」おかげで「生きていられる」と考えられるか
  終わりがあるから今がある

<実感・感想披露>
 ・生きている実感もいつもないし死ぬ実感はもっとない。
 ・今は「生きている」ことしかしていない。
 ・死が身近にあったから、生きている実感は昔はもっとあったろう!
 ・身体が動くと「生きている」動かなくなると「死」に向かっている
 ・自分は自分で他人は社会動物
 ◎生死観を感じるのに古典をよむ
 ・生き物として生きている実感は少ない(内面的なこと)
  社会的に生きていかなければいけないと強く思う
  上の2つにはちがいがある

(3)「今昔物語から観えるもの」
 ・社会的な死でなく生物的な生き死にが書いてある
 ・社会的なこととはまったく関係ない死生観は「死」が前提にある 「仏と私」 

 何回も殺され何回も生かされている(仏教哲学) cf.「往生要集」地獄ばっかり
           ↕
 生きることが保証されている社会の中での死生観(キリスト教的民主主義)

 ◎「死」が教えてくれる「生」の哲学をもとに今昔物語はある
  ただ物語としてみるとたいしておもしろくない
  地獄の物語かもしれない
  生きていることは本当にいいことなのか?

 ◎「社会」をぬきにして生や死を考えてみませんか?

 今の物語ではない。社会的に今とちがう。社会をぬいた生死観もちがう。
 生きることと死ぬことを念頭に読み手の居所にするのはどうか?

◆本日の磯貝語録
 "社会" をぬきにして生や死を考えてみませんか?
 生死の見えない文学は、薄く軽い。それも又死ぬるもの・・・。

◆本日の感想
 未だ未だ自分のわかる範囲で、出来る範囲でしか表現していない、
 してしまう事を痛感、言われれば(理解出来る)わかるのだが、
 言われなければ分らない事がはがゆい。未熟感が強い。
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