12月14日(日)声・ことば表現テーマ別
講座テーマ「『平家物語』②」
[Ⅰ]平家物語の読み方(塾長)
①仏教観―芸能に於ける宗教性について
・一つの宗教にとらわれるのが嫌だという傾向が強いか?
日本人は、生活原理として、仏教感や、宗教的習俗を生活している。(破魔
矢を買うなど。)
・考え方なども仏教的である、しかし宗教という意識は希薄。
(・宗教観が薄れているので、古典文学を通し日本人の宗教感性を学ぶ。)
(・自分の中にある宗教観を取り出して、リニューアルする。)
②無常観・・・あはれ、空しさ、悲しさについて
・概念ではない、無常観(意識や、生理)をつかみ、表現しようとする。
・宗教は、当事者の問題であって、第三者との問題ではないが、布教したくなる
ものであるらしい。共有感の強迫観念か?
・祇王の悩みを本人の悩みとして読めれば、宗教観を出せる。
・宗教は、本人の問題だということをごちゃませにしないでおく。
◇「祇王」の母・とじは、弱い身であり、身勝手で残酷である。
しかし、悪があるから善がある→宗教ではそれを明確にする。
・悪に対して、悪だ、悪いなどというのは、社会的発言で、客観的ではない。
・芸術(文学も)は、善悪を平等にとらえ主観的ではない。ただし、表現の現場
はそれらをクローズアップし、暴いたりもする。
・祇王は美であると同時に悲である。仏。
③祈り
・宗教性は存在であって、説明ではない。
存在の具体的行為が「祈り」である。
・琵琶で語るのは祈りの形。祈りと、音楽のつながりは深い。
<ディスカッション>
・芸能の中に宗教観があったほうが、滅ばないですむ。その宗教観は、巷にある
ものではなく、新しい宗教観として発現するとよい。(塾長)
・今生きているところ、そうでないところ、それがつなげている宗教。地域の宗教
的な行事があり、宗教を身近に感じている。(塾生)
Q.自分のなかにある宗教性とは、どんなものがありますか?宗教体験など。
A.詩などを読むと書いた人の宗教観を感じる。(宮澤賢治など)
場所に神がいる。(台所、家の様々なところ)
神を感じる場所がある。(教会、弓道場など)etc...
宗教的な希求心を持って読むのと、言葉として読むのは、全くことばの流れや、
収まりが違う。(塾長)
宗教を持たないといいながら、個人的には宗教観を持っている。
Q.芸能と宗教観(性)は大きく関わっていたが、現在はむしろ希薄となっているが…
A.関係は大きい。常に、宗教性に立ち帰ってしまう。
(塾長の体験から)
◎信心の心性は、国や宗教により正反対のものも多い。日本人の信心は利己
的で、基本は自己に向かっている。一方、インディアンのある族は、祈りは神の
考えを聞くことか、願い事は自分のことではなく、他人のことを願って祈る。
◎日本も、海外も宗教性の多い作品は多いが、今の日本人には捉えにくい
し、表現出来ない。
◎芸となって、作品のこと、登場人物のことを演じるときに、どれだけ自分を捨て
られるか。(日本人は、物事の自己化が強いので)
→宗教性を持つことで、自分と役の間にスキ間を作れるか。
◎どこまでが自分で、自分でない役と行き来するときに、宗教的感性で別の次
元を意識できる。
◎ただ入魂するだけでは、あくまで自分。祇王を分析して、演じたとしても、それ
は自分であって、祇王の、脱自の祈りを演らなければ、説得ある表現になら
ない。
[Ⅱ]演習「祇王」
①調子をつけて読んでみる。
・前へ進むような調子で。
・ことばを横に広げず、前へ進ませるか、下げる。
・今様を謡う。謡いに近づける。(P40、P50)
基本の節はあるが、好きに謡っていたらしい。雅楽の節に近く謡っていたので、
だいたいこんな感じで謡っていたというのが今様は分かるが、「平家物語」に
限っては、残っていない。
・「平家物語」は、琵琶で語る。鼓なども入ったりするので、音楽、リズムとも関
わりは深い。
◆本日の磯貝語録
本来の宗教性を持っていれば、自分を捨てて演じることができる。
◆本日の感想
日本の文学、技芸の基にある仏教感(観)。作品を演ずる、表現する為に
仏教感
・宗教性が不可欠。そこを意識して演ずることで、作品を深めることができる。こ
れを目ざし自分を消し、表現できるのはいつか。手話も言語。いつも共通部分
を発見しています。
2008/12/14 (Sun) 22:00